生きている証ネオ

毎日だらだら更新します

明日はどうしましょうかね?

また区役所へ行かなきゃ行けなくなりました。
しかも4月に変更があったらしく、窓口じゃないと
わからんと言われてしまいましてね。
これじゃガキの使いみたいになっちゃってますが、
とりあえず私もわからないので、現地に行くしかないわけで。
電話で対応しようにも、おそらく書類やら何やらあるんでしょうから。


ルールは把握しましたよ。
ただ、機会はちょっと先になりそうです。
しょうがないけどね。
あと気になったのは、結構例外ってのが多いのよね。
そゆところの処理は忘れないようにしないと。


昨日の日記にもリンクするんですが、
そーいえば新たな人間関係を構築しようと思った時期が
私にもありましたよ。
どうしてそうしなかったのか?

普通の人が新たに知己を得ようとする場合、
ポピュラーなのは”同じ趣味の人たち”でしょうか。
私もボドゲ以外に趣味はありますし、そちらに
傾倒していけばそれは可能なのですけれど、
ここの1つの大きな落とし穴があったのです。

ボドゲが好きという人たちは、得てしてそれ以外の
趣味も持っているケースが多いのです。
多趣味とまではいかなくても、ボドゲ一本って人は
滅多に見かけません。
ボドゲってのは基本的に複数の人が集まらないと
できませんからねぇ。そういう意味では制約のある
趣味と言えなくもないのですが。
そして私の趣味というのは、彼らの中でだいたい
完結してしまうのですよ。
これには私も驚きましたがね。
今ある状態で終息というか、満足しちゃってるんですわ。
私の趣味が狭いのか、知り合いが多すぎるのかは
わかりませんけどね。


久しぶりに愛の話でもしましょうか。
私は博愛主義者です。
『あいしてる』って複数の女性に言いますし、
その人たちもこれ見てたりするんです。
冷静に考えるととんでもねーことなんでしょうが、
それができてしまってるんですわ。

それでですね、何が目的なのか?
おそらくですね、言われた人の方が戸惑ってるのでは
あるまいかと昨今思うようになりまして。
んで、そこいら辺のことを吐露してみようかなと。

正直なところ、言いっぱなしだったりしてます。
そっから何かをしてるってのは、私の記憶にはありません。
たぶんね。
じゃあ何でそんなこと言うのか?
それは『安心力』なのですよ。

例えばですね。
落ち込んだり凹んだりすることって誰でもあるでしょう。
死にたいと思うこともあるかもしれません。
そんなときにですね、もしそう言われたってことを
思い出して貰えたらなぁと。
そしたら『私もまだ捨てたもんじゃねぇなぁ』なんて
感じられるんじゃないでしょうか?
それって活力になるんじゃないでしょうか?

或いは。
どーしょーもなくなったときでも、
私が何とかしてくれるかもしれない。
そう思ってくれるだけでいいんです。
実際にするかどうかってのは置いといてね。
それはその人の人生に保険がかかってるようなもの。
空証文かもしれませんが、そんなのでも無いよりはマシでしょう。
人間ってさ、そんなもので支えられてるし、
踏ん張れたりもするんだと私は知っていますので。

あ?
やりてーかどうかって?
いきなり下世話なお話ですが、関係ない人にとっては
こゆのも気になるんじゃないかなと。
そりゃやりてーとは思いますが、こちとら若くはありませんのでねぇ。
昔は結婚したら愛人がいて彼女がいる生活ってのを
夢見てましたが、精力的に無理です。
そんな元気はありませんや。


病院に行ってカロナールをもらってきました。
もっと強いクスリにして欲しかったのですが、
副作用が気になるからってこれになりました。
だけど安全ではありますね。