生きている証ネオ

毎日だらだら更新します

そんなことを思いつつ

来月の袋小路は8日の土曜日。
3連休の最初だと思ってくださいな。
公式HPにも書き込みしようと思ったら、
掲示板が表示されないんですよね。
しゃーないので早急に変更してみました。
今のところ何の愛想もない仕様になっております。

ついでに今月どこかで18xx会でもやろうかと
会場に問い合わせてみましたが、全日で
借りられるところはもう無いそうです。
ざんねん。
あれは面白いんだけど、時間かかるんだよねー。
一応午前+午後では借りられそうではあったんだけど、
9時集合17時解散ってのはどうかなと思ったので
ナシにしてしまいました。


むか〜しむかし、宮沢りえ
「すったもんだがありました」
ってCMがあったと記憶しております。
確か清涼飲料だかのCMだったと思いますが、
今はそんな感じだったりします。
ホントかなぁ?
まだよーわからんけど。


秋葉原におりました。
やったゲームはこんな感じ。

・ダミー×2

得点がプラスとマイナスで。
どっちも運100%かもしれないね。
個人的にはマイナスの方が好み。

・ユカタン×2

自分のユカタンで遊ぶのは初めて。
なぜか石をいっぱい取らされる展開に。
1回目はマイナス点で撃沈。
2回目もマイナスの石5つは多いにゅ〜。
最後に赤いのをゲットしてギリギリプラス点。
だけど勝ってないねぇ。

・サムライ

確か先週もプレイしたが。
本州、北海道、四国がクリアされたのに、
終了フラグが立ちません。
おっかしーなー。
そんなこともあるのかもね。
今回は最初から田んぼ狙いで5つかき集め、
3人の残り勝負の結果6点で勝ち。

カグー

爆弾処理ゲームだと、過去にダイナマイトとか
ぼむ、カウントダウンなんかがありますが、
どれもシンプルでわかりやすい内容になっています。
このテーマは小難しくしすぎると、難解になりすぎて
プレイ感がよくないのかもしれませんね。
最初に虫メガネがないときっついねー。
そして爆弾を解除するか逃げ出すかは先に決めた方が
いいみたいに思えました。

ルイ14世

下家は陰謀マニアで、上家は手番マニア。
対面は初プレイという形でございましたが、
このゲームって依頼を達成するゲームだからね。
勘違いしている人たちがいたために勝ち。

カタンの開拓者たち

久しぶりにこんなのもいいよね。
道賞持ってる人が騎士賞まで狙ってきたので、
道賞だけでも奪い返そうと、無理矢理道2本引きました。
その資源が木2枚、麦2枚(麦港)と鉄3枚(3:1港)って
勿体なくないですかね?
自分でやっててもったいねーと思いましたが、
そこまでしないとアガられちゃいそうだったのさ。
だけど相手の手番で騎士賞ゲットされ、さらに
4:1貿易で無理矢理道賞を踏み返され、隠しポイントを
晒されて終了となりました。
ちなみに私も1ポイント隠しててリーチだったのよね。
家建てるタイミングさえあればなぁ〜。

メディチ

4人だとちょいと少ないか?
そして抜けるカードがかなり多いので、
展開はかなり荒れ気味となります。
あれ?
ひょっとして私ってこのゲーム初勝利じゃね?

・ペンギンが氷の上を滑りまくるゲーム

最初から先が無い展開なのに、あっさり2匹とも
殺されてしまいました。
13点で終了って初めてだわ。


アフターで味噌汁屋。
アフターなのにボドゲの話をしてるって珍しいなぁ。
今までにあまり無い展開だったりします。


先週くらいからずっとアタマの中にはあったのですが、
気持ちがどうも乗らずにそのままにしてあったお話を
ここに記してみようかなという気になりました。
誰得とかって言われるとその通りなのですが、
祖父母の話をしようかなと。

祖父は下駄職人でした。
結構腕は良かったんじゃないかなぁ?
そこそこ儲かっていたらしいような話は聞いてます。
身体はそんなに大きくなく、健康とも言えなかったようで、
兵役検査では丙種だったそうで。
乙二種くらいまで赤紙送ってたと聞いてますので、
戦争には行ってないそうです。
醤油とか飲んでたのかしら?

やがて結婚したそうなのですが、
私の祖母にあたる人は、いつからか眼病を患ったそうです。
四方八方に手を尽くして治療したそうですが良くならず、
当時の技術では最先端の角膜移植までしたそうです。
そのために蓄財は殆ど投げ打ったんじゃないかなぁ?
それで一時は回復したそうですが、一時的なものだったそうです。

祖父は祖母に対してかなり尽くしていたように見えました。
目が見えないのですから、何をするにしても誰かが
介助しなければならないのは仕方がありませんが、
祖母はそれについて感謝しているようには見えませんでした。
それが当たり前のことだと思っていたのではないかなと。
或いは、祖父がそう思わせるほど尽くしていたのではないかと。
私の目からは、暴君と忠実な臣下に見えましたよ。

そんな祖母の面倒を見ながら、下駄を作り
自分の店で販売するというのは、並大抵のことでは
なかったのではないかなと想像できます。
後年はホームヘルパーなどをお願いしたりはしましたがね。

そんな祖父も、私が知る限り2度ほど入院しております。
でもね、私が帰宅すると家にいるんですよ。
勝手に病院抜け出して来ちゃうんですね。
家が心配だからって。
その都度病院に連れ戻されてましたが。
そんなことを入院期間中ずっとしておりました。
そりゃあ病院が近所にありますからできる業でもありますが、
病院は驚いたんじゃないのかなぁ?
患者さんが行方不明になっちゃうわけだから。
さすがに毎日なので、すぐに馴れたみたいですけど。
そしてついた渾名が「仏様」ですよ。
ベットにいても家やら家族やらの心配ばかりしていたそうです。

やがて祖母の方が病気になりましてね。
どうも痴呆も入っていたようで、近くの病院では
受け入れてもらえず、遠くの病院に入ることになりました。
その次の日ですよ。
祖父が「入院したい」って言い出したのは。
おそらくずっと一緒の生活をしてきて、
祖母を支えていくことが全てのようになってしまったのでしょう。
祖父が一番大切にしていたものが何だったのか、
私もそのときに悟りましたけどね。
そして病院に無理言いまして、何とか同室にいられるように
お願いいたのですが、結局一緒にいられたのは一週間でした。
祖父はそこで亡くなってしまったのです。
自宅から遠く離れたところだったことが、
ストレスになってしまったのかも知れません。
或いは祖母の具合が悪くなったことを気に病んだのかもしれません。
真相は誰にもわからないんですけどね。

果たして祖父は幸せだったのでしょうか?
これも誰にもわからないでしょう。
でも、つい考えてしまいます。
これを読んだ皆さんも、いろいろ考えてみてください。

確実に言えることは、私は祖父に似ているみたいです。
親父は似ているとは思えないので、隔世遺伝でしょうかね。
ですが下駄職人のような手先の器用さは受け継げませんでした。

こんな文章をアップする気になったのは、
ある人に伝えたかったから。
私にはこういうことはできないなぁと。
そして手を引くなら早いほうがいいんじゃないかなと思ったので。
ここまでいくと滅私奉公のようにも感じるんですよ。
自分がそこに無いんだよね。
それも1つの生き方かなとは思いますが、
自分のために生きてないよね。
今はそう感じているのです。